ターンA ガンダム

月に繭 地には果実〈上〉 (幻冬舎文庫)

ストーリー

異邦人の少年が、いったん平和な日常を手に入れるも、戦争にまきこまれ、恋愛や闘争、そして戦争をくりかえす人類への絶望を通じて成長し、日常へ帰るまでを描く。

ふたつの故郷、というのはガンダムの伝統ですね。地球の民と宇宙の民の民族対立に翻弄されるためには必須の設定なのでしょう。大人と子供、男らしさと女らしさの狭間にいる主人公、というのも伝統ですね。

ターンA ガンダムとは、高度文明を消滅させ地球を再生する花咲か爺さんなんだそうです。いままでのガンダムは単なる強力な兵器ですが、ターンAはもっと高次元のシステムですね。

恋人にもう一度会いたいがために戦争のきっかけをつくったディアナ、ロランにふられて殺戮に走ったラインフォード、同胞を殺された怒りで最終兵器を発射するハリー、ハリーにふられてラインフォードに加担するキエルなど、主要キャラクターの大半が情念や怨念で戦争なり殺戮なりに走ります。物語としてはだからこそ感情移入できるわけですが、現実はどうなんでしょう。もっとドライな利害で世の中動いているようにも思えます。まあ、怨念で動いてないからこそ核兵器や毒ガスがそれほど使われずにすんでいるのかもしれません。もっとも、自爆テロは怨念がないとできないかな。あれは、洗脳技術を駆使しているんでしょうか、それとも宗教の力なんでしょうか。

アニメはみていないのですが、富野監督によると、福井版ターンAは、世界観の総論を語り、TV版は、その局部を語るもの、だそうです。比較してみるとおもしろそうですね。

解説にひとこと

宮台真司の解説をなぜ下巻にもってきたのでしょう?

クールな分類づけでラストの余韻から引きずり出されました。

SFアニメの歴史におけるターンA ガンダムの位置づけの分析はおもしろいと思います。ですが、福井晴敏の圧倒的な戦闘シーン、破壊シーンの描写や登場人物の悲哀と収まりのいいラストシーンの感動に浸っているところに、福井さんのふの字も出てこない俯瞰的な分析を読まされたのはちょっと。

上巻にもってきて、富野由悠季を下巻にもってくるべきだったのではないかと思います。